ヨーロッパ、東南アジア、インド・・・
   異なる文化、温かい人達との出会い

      

      

インド 5章

オギとゆく

朝のまだ暗い時間に、奥のカップルが出て行く気配を感じた。
「気をつけてね、またね」
とだけ声をかけ、また眠る。

結局、24歳3人組みの会話は朝まで続き
パーマとかずまは、そのまま寝ずに出発して行くことに。
彼らは、ネパールのカトマンズへバスで向かう。
表まで出て見送ることにした。

一日しか一緒にいなかったのに、昔からの友達が
どっか引っ越すような寂しさがあった。

大学を卒業する時、いつも遊びに行っていた一人暮らしの友人が
田舎に引っ越したときと似た感覚だった。
楽しい夢から覚めてしまったような切ない感覚。

彼らが出て行くと、7人から一気に3人に減り
部屋が一気に寂しくなる。

前日に、朝一のボートをオギと一緒に頼んでいたため
フレンズの前に6時に集合する。

するとそこには、もう一人30過ぎの男の人もいた。
同じく、朝一のボートに乗るらしい。

しばらくして、ボート漕ぎのインド人の男が来た。
近くのガートからボートを出す。

バラナシは、ガンガーの向こうから上がる朝日が
めちゃくちゃ美しい。
間違いなく、今まで見た中で一番。
ただ美しいだけじゃなく、周りで沐浴している人、朝から続くお経
川の水面に伸びる朝日の光、全てが揃って心に響く景色なのだろう。

火葬場になるマニカルニカー・ガートを経由しゆっくりと川を渡る。
途中3人も漕がせてもらったりしながら、ゆっくりと向こう岸まで向かった。

渡りきったところで、対岸に下りて歩いてみる。

そこは、砂地になっていてバラナシの街から川を隔てただけで
全くの別物だった。
あんなに建物が窮屈そうに隣接している場所からわずか100m程で
誰も寄り付かない、ガランとした場所になっている。
その理由は、街の対岸が不浄の地とされているからだった。

少し歩いたりして、足の感触を楽しんでいると
向こうから、オレンジの袈裟のようなものを着た
現地の若者が近づいてきた。
大きな荷物を持っているところを見ると
バラナシの街から、荷物を運んできたようだった。

5分ほど自由に歩き回り満足したところで、ボートはバラナシ側に戻った。

戻ったところで、フレンズのラジャさんに、翌々日の鉄道のチケットの手配と
どこかビールが飲める場所が無いかを聞きに言った。

チケットに関しては、翌々日のものであれば後からで大丈夫
というのと、ビールは少し遠いけど「ババビアバー」というところで
飲めるという情報を得た。

baba beer bar へ

早速、昼はババビアバーに行く事にした。
サイクルリクシャーに乗って10分ほどでそこには着いた。

外から見ると、窓が全て黒くなっていて、なんだか
怪しいような雰囲気。

恐る恐る中に入ってみると、薄暗くて
ちょっと警戒してしまうような感じだった。

オマケに何故か、ライフルを持っている男までいる。

かなりマッチョで、恐そうな男が注文を取りにきたが
話してみるとフレンドリーで、オススメを教えてくれたり安心した。

この時、キングフィッシャーというビールを頼み
久々に飲んだビールは最高だった!
オギと「クゥーッ!」と言って飲み干し、つまみに
ナンとカレーと、フライドポテトを頼んだが
どれもかなり美味かった。

瓶ビールを3本飲み、軽く酔って街まで戻った。
宿の近くで、日本語で話しかけてきたバンダナの少年と
チャイを飲みながら少し話した。
基本は商売目的なんだろうが、いろいろな情報をくれて
かなり助かる。

そこで午後は、サイクルリクシャーでガンガーにかかる
橋まで行ってみる事にした。

ここからだと、かすかに見える程度で、結構距離はあるが
暇だし行ってみようとなった。

途中でサイクルリクシャーを捕まえて乗り込む。
値段の交渉をし、出発した。
だが、このリクシャー乗りが気性が荒い。
他のリクシャーにガンガンぶつけたり、叫んだりと
こいつで大丈夫かと不安になった。

こいつもそうだったが、噛みタバコなのか知らないが
くちゃくちゃ噛んで赤い液体を吐き出す。
結構いろんな人がしているが、最初は驚いた。
そいつの歯も赤く染まってるし、においも
なんだか酔っ払いの息に似たような、嫌な臭いがする。

問題なくリクシャーは30分程進んだ。
無事に橋まで着いたところで、「少し待っててくれ」と言って
歩いて橋を渡ってみることにした。

結構長い距離を渡りきると、対岸まで下りる階段があった。
下りてから川までの砂利道を歩く。
途中に少数の民家があり、遠く向こうから子供たちの声が聞こえる。

何を言ってるかまでは分からなかったが、こちらも大声で
「ハロー」と叫ぶと、向こうの子供たちも返してきた。

やがて、子供たちが10人ほど向こうから走ってよってくるのが見えた。
どうやら、こちらの岸まで来る観光客は珍しいらしく
好奇心を持った表情で近寄ってくる。
少し警戒した様子をみせながらキャッキャと楽しそう。

あんまり可愛かったので、一緒に写真を撮ろうとしたとき
なんと俺のデジカメが壊れてしまった。

かなりショックで、しばらくいじっていたが
諦めて、オギのカメラで撮ってもらったり、子供と遊んだりして
時間をつぶした。
(この後、あるハプニングでオギはデジカメのデータを全て失うことに。)

こっちの人は大人も子供も、デジカメを珍しがる。
写してから、その場で液晶で見れるという便利さは
彼らとコミュニケーションをとるには、すごく役立つ。

ビスケットも役に立った。
とにかく安いから、腹の足しにもなるし、子供にあげても喜ばれるし。

1時間ほどそこで遊んでから、リクシャーを待たせてるから
帰る事にした。

戻ると、リクシャーの運転手は後部のシートで寝ていた。
起こすと、寝ぼけながらも笑顔でお帰りといい
リクシャーを出発させた。

相変わらずの荒い運転で、周りに何度もぶつけたりしながら
街中まで到着。

少し心配していたが、案の定、待たせた分の追加料金を
請求してきた。

俺とオギは、無視して、最初の100ルピーだけ渡して
その場を去った。

宿に戻って、少しまったりしてから
オギがこれからネパールに行くための、ビザ用の証明写真を撮りにいく。

証明写真を撮りにいく

ラジャさんに聞いた、ゴドウリヤー交差点近くの写真やに行くことにした。

この時ゲストハウスから出てすぐに、びっくりしてしまった。
そこら中に何頭も牛がいるんだけど、一匹横になっている牛がいた。
近づくにつれ、死んでいるのだと分かった。
他の牛が死を悼むように顔を近づけていて、周りにはハエがたかり
異臭がただよっていた。
この後一日は、そのまま放置されていて
そこの道を必ず通らなければいけないため何回も目にした。

バラナシは、インド中から死者が集まる聖なる街。
マニカルニカーガートの火葬場では24時間火葬の煙が絶えない。
他の地から、バラナシに来てだまって死を待つ老人もいる。

そんな死と密接に関係のある場所だからこそ、牛の死を間近で見たとき
ショックを受け、死の意味を考えさせられた。

その後、歩いてゴドウリヤーの交差点まで着いた。
オギが写真屋で撮影してもらっている間、俺はデジカメの代わりのカメラを買うために
カメラ屋を探していた。
フィルムの安い使い捨てカメラを探していたが、なかなか見つからない。

カメラの修理屋のようなところに行った時、そこの主人に
安いカメラを探していると言うと、店番を他の人に頼んで
他の店に連れてってくれた。

お礼を言ってそこに入ると、フィルムが交換できる簡素なカメラが
300ルピーほどで売っていた。
そこで、カメラとフィルムを買ってみることにした。
昔ながらの大きく黒いプラスチックの「kodak」。

結局、このカメラを最後まで使い続けることになる。

写真を撮り終わったオギと合流し、もう既に夜の7時過ぎだったので
またババビアバーに行って夕飯をとることにした。

今回は、独特な雰囲気にも慣れ
昼と同じくビールとフライドポテト、カレーにナンをいただいた。

歩いてフレンドまで帰り、オギと話しているうちに
一緒にネパールに行くことにした。

予定ではガヤからコルカタという予定だったが、
バラナシまででインドの雰囲気を満喫した感があり
全く違った雰囲気を味わいたい気持ちに変わっていたからだ。

もともとネパールも行きたくて、地球の歩き方も買っていたが
中途半端にインドを旅することになりそうだったので諦めていた。

そのインドも少し飽きてたのと、息抜きもかねて
ゆっくりしたくなっていた。

ネパールといえば、カトマンズかポカラが有名。
オギはどちらでもいいと言ったので、ゆっくり
ヒマラヤを楽しめそうなポカラに決めた。

翌日、ラジャさんにチケットを頼むことにして
この日は就寝した。
風邪気味の体調も早く治ってほしいと願いながら。





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